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ジュエリー星になる
/ 2006.06.06 DaDa農園の畦塗り / 2006.06.11 田植えと畦マメ植え/ 2006.06.14 参加者は、藤川、小出、小森、淋、尾方ほか。 中山間地生態系調査、水田会議、泉質調査など複数の調査研究と会議は滞りなく終了した。「いわゆる会議」という九州民族には不得手なミーティング形式に別れを告げるために催されたこの出張研修は、DaDaに新たな「手法」をもたらしたように思う。それは「DaDaマーク」が躍動する世界であり、例えて言うならば、世間で言われている「ユビキタス社会」が「論理のからを抜け出して大地に着地していく姿」と言ってもいいだろう。 孤風院「足湯設計会議」 / 2006.06.17 様々なアイデアや疑問が、複数の大学の、しかも学年の違う学生の集合体の中から出される中で、一つの構築物に形を与える試みは時としてだるく、無闇に時間が経過するいら立ちを感じるものだが、それがある時何かが弾けるようにして一つに収束していく瞬間がある。「座標軸の発見と座標の基準点」の発見、という設計の核心に迫る議論が戦わされた。大きな枠組みと、細部の納りの間に何か別物が存在しているのではなく、たった一つの原理原則が魔法の杖のようにして瞬時にすべてを決定付けていくだいご味を感じ取ったとしたら、「建築というものがなぜかくも魅惑的か」という疑問に対する答えに、もはや迷いはないだろう。 |
“祭りのはじまり” 生命あるものが姿をかえる時、それを「星になる」と言うのがいいか「ブラックホールに吸い込まれる」と言うのが適切か? 六月六日、午前11時半。私達は無言の内に「祭りが始まる瞬間」に立ち会っていたように思う。 祭りと言えば、各地にたくさんある。その多くは何百年もの昔から受け継がれてきたもので、気高く荘厳でもあり、しみじみと歴史を忍ぶものでもあるが、一様にある種の独特な華やかさを身にまとっている。 しかし、その華やかさの背後にあるものの意味を肌身で感じる事は残念ながら今は少なく、それがゆえに、「伝統的なものの保存」の価値だけが表に出て、「祭りの後の空しさ」をくり返している、と言えば言い過ぎだろうか? 今、私達に新たな祭りを生み出す力や、祭りを起こさねばならないような動機が発生する素地が果たしてあるや否や? この問いに対する回答を「祭りが始まる瞬間にあなたは立ち会った事があるか?」というもう一つの問いかけに託してみたいと思う。なぜならば、いつも何かが始まる時には「負の連鎖に対する恐怖心」とでも言うようなものが存在し、それが「祭り」の場合にもその動機になっているような気がするからだ。そして、もしそうだとすれば、「何がその恐怖心をもたらすのか」というのが次の疑問として浮かび上がってくる。 その答えは「無惨に葬り去られる」あるいは「無意識のままに消される」感覚に起因すると言って良いだろう。別の表現をすれば「自分の意志によって変身する力」を剥奪される状態を言うのだろう。 「祭り」とはこのような事態が同時連鎖的に、しかもそれを防ぐ手立ても持たないままに、ずるずると進行していくことへの焦燥感から生み出されると言っていい。。そうでないならば、かようにも(曲がりなりにも)幾多の祭りが継承されようはずがないからだ。またその一方で、継承が危ぶまれる祭りにあっては、そこに現代に通じる同様の焦燥感や危機感が共有されていないと言わざるを得ない。 こうして、今や私達のまわりには「祭り」を起こす気運や動機に相当する現象が溢れんばかりに存在する事に気付く。その時、注視すべきは、「負の連鎖の起点」にあるものであり、またその対極にある「正の連鎖の起点」に位置するものである。 六月六日、私達が「祭りが始まる瞬間」を見たのは、まさにこの「正の連鎖」と「負の連鎖」が併存する世界がそこにあったからである。 祭りが始まる起点は、今、あなたの食卓の上にある。
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“環境圏構想”応用編へ 「環境圏」への着想が1992年だから、それからすでに14年が経過した。90年代は主として不知火海を中心として構想の基礎固めをしてきたが、今世紀に入ってからは有明海を中心として実践的な活動へと軸足が移ってきた。その代表的な事例が「あか牛」に関する取り組みである。 いまだに「阿蘇のあか牛」という表現で畜産振興や草原保全が語られることが多いが、私達はそのようにひと括りでは考えない。具体的に言えば、産山と南阿蘇は区別して捉えていると言う事だ。2004年に私が両地域の畜産(牧野)組合の組合長に提出した「発注書」にはその事をはっきりと示している。しかし、残念ながらその事に対する反応は全くなかった。無理もない。その理由は、ハンディー方に習熟した人(感覚的にそれが分かる人)には容易に理解されるが、そうでない人には了解されていないからだ。だから、あえて今から指摘しておかねばならないのは、南阿蘇における「ジュエリーのチャレンジ」と産山におけるそれは、今のうちから明確に区別しておいた方がいいと言う事である。そうでなければ、このチャレンジは単になる畜産振興に留まってしまうだろう。 こうした危惧に対してDaDaな仲間達が発案したのが、 「DaDaな塩」である。この塩は天草の通詞島で作られている。南阿蘇と天草の通詞島の関係に目を向ければ、その意味は容易に理解されるはずだ。あえて言えば「南阿蘇のあか牛の香りと、通詞島の塩の香りには相通ずるものがある」という意味である。 今回の味覚評価実験に福岡の人が一人も参加していない背景には実ははこのような意味がある事を了解していただきたい。当然のことながら、実験参加者は熊本在住の人が中心となっている。あれ程までに叫ばれていた「地産地消」という言葉がいつの間にか影を潜めてきた理由には、もうみなさんお気付きのことと思う。それは当然の帰結と言って良く、いち早くその根拠のぜい弱さに気付いた人たちがすでに別のみちを歩み始めているという事である。 このような事から「ジュエリーのチャレンジ」が向かう方向と用いる手段は明解だ。迷いがないから足取りは加速するはずだ。ただし、それに立ち向かうべき「群れ」がしっかりと統率されているかどうかはまだまだ怪しい。その怪しさを払拭するために奔走する人が必要不可欠なのに、もし、その必要性すら誰にも認識されていないとすれば、再び迷いみちに入り込むだろう。ジュエリーがその「挨拶状」において最も強く訴えかけている事がこの点にある事をどれだけ多くの人がその風味の中に感知するか、これこそがDaDaからあなたに対する味覚評価の核心なのである。
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・「DaDaな仲間の集い」
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